SSブログ

教育・躾とは?-1放つ言葉の影響と意味するもの [育児のあり方は?]

先日、
新聞を読んでいると次のことがでていました。
理科の時間、教室で圧力と変形を教えていて、
そのことと生き物の関係について、
子供達に説明していたそうです。

その時、有る箇所を
「押したり、針一本で赤ちゃんは殺せる」と
いうようなお話が先生の口からでたことで
父兄に訴えられ、問題になっているようです。

その先生に対しては、
教育委員会では処分の検討をしているそうです。

ところで、私の言いたいことは、
教師はその”事実そのもの”を言いたかったのでは
なかったか?と思っているんですね。

「殺す」というような言葉を使ったことは
不適切で、不用意だったと思うのですが、
何も、教育委員会に訴えるほどではないと
思うのですが如何でしょうか?

それよりもむしろ、
まず、先生にその真意を正すとうことが順序としては
より、適切だったと思えます。
その上で、先生の反省の度合いによっては、
教育委員会などを通じての処分もあり得るかと思います。

空手とか柔道などをしていると、
むしろ、小学生であっても人体についての
急所、弱点については積極的に教えます。
間接わざとか、絞め技、突きなど
危険な技はいくらでもあります。

本人が知らなければ、うっかり使ってしまう技、
当ててしまう急所はいくらでも有ります。

知っているから逆に安全を保っているんですね。
男の世界と女の世界の違いが成長過程に有るんでしょうね。
性差などの部類はこの辺にも有るかもしれません。

問題はその事実を知っていることが
何処に繋がるのか(何を示唆しているか)が問題なのですね。

武道家やスポーツマンはその事実を知ることによって
又、教えることによって、絶対に急所はついては
いけませんよ!ということを教えます。

その先生はその”事実”を教えているのであって、
舌足らずではありますが、

だから「殺しても良いですよ」とは
まさか教えるはずないと思います。

むしろ、教室では小学生などは頻繁に
喧嘩か、じゃれ合っているのか判らないほど
とっくみあい、喧嘩等が入り乱れています。

その中で、知らないと不測のことをしでかすことは
いくらでも有ると思います。

むしろそういう意味では、
そういう急所的な箇所を子供達が知っていることが、
そういう危険から救ってくれることが多いと思います。

むしろ、
お母さん達に私が言いたいことは、
そういうことを聞いたときに、
先生を感情的に非難するのではなく、
事実の多様な側面をしっかり聞いて、しっかり考えて
「だから、貴方はどうしたら良いのですか?」と
問いかけるくらいの余裕が有って欲しいものです。

 勿論、先生も「だから万が一けんかしても、
そういうところを殴ったり、
突いたりしてはいけませんよ!」と
教えるべきだったでしょう。

 更に、
人の命の尊さを教えてあげられれば、良かったのでしょうが。
そこまでできなかったのが、何故か?と、問われれば、
私なりに想像するなら、
授業の時間がなかった。
若いから余裕がなかった。

まさか、
親に訴えられるとは思いもしなかった。
などがあげられます。
 
 聞く側に悪意と善意で、
天と地の差が開くのが今の時代なので、
先生方もよほどの注意をしないと大変なことになるのでしょうね。

 でもこういう状態の中では、
真の勇気有る先生はなかなか育たず、
当たり障りのない道を選択する事なかれ先生が
大手を振って通る教育になってしまう様な気がします。

私だったら、「良いこと聞いてきたね」。
「人にはそういう急所、すぐに死んでしまうような箇所が
いくつもあるよ」。「だから例えけんかしてもそういうところは
絶対に避けないといけませんよ。」とおしえるでしょう。

また、そういうときこそ、
命の大切さなどをこんこんと説き聞かせてあげられる
良い機会ととらえるでしょうね。

勿論けんかはしてはいけないと教えますが、
それでも、それがなかなかできないのが
小学生くらいの子供達なんですね。

むしろ、
男の子の場合は、
つかみ合いする位の仲の方が
後では雨降って地固まると言われるように

とても良い友人、
忘れられない友

になっている場合も多いんですね。

また、何でもそうなのですが、
しても許されることと、
絶対許されないことが有るように

そういう判断を
子供達に一つずつ教えていくことで
成長していくのだと思うのですね。

一つだけ、
こういうお話を、昔母に聞いたことが有ります。

ある時、有る小学生のお母さんが、
我が子がナイフを持って遊んでいました。

ところがそれを見て、
「危ない!」と叫んで、
取り上げるや否や、
裏の田圃に投げ捨てたそうです。

皆さんは、
如何思いますか?

当時は、
田圃を耕すときは、昔は馬や牛を引いていて、
人は裸足かせいぜい地下足袋なんですね。

あとでよく考えてみると、
本人もその意味がよく分かったと思いますが、
感情的に判断すると大きな誤りが潜んでいる場合が多いですね。

昔はおもちゃなどなかったので、
遊ぶ為の手段を造るために、
ナイフは子供にとって貴重なものでした。

しかし、
使い方をしっかり教えていないと凶器にも変わります。
物事は単純ではないですね。
これは大人社会でもいえますね。

ダイナマイトの発明や、
核開発も平和利用も有れば
大量殺戮のための戦争利用も有ります。

これらは子供の時から、その選択肢が無意識のうちに
迫られているといえます。

危ないからと、
何も教えられない子、何の経験もない子は
頼りなく勇気のない子に育ってしまうでしょう。

逞しくても、
人らしく、優しさや思いやり、
正義感が育てられないと
人を殺しても平気な人間、
賄賂をもらっても平気な政治家に育ってしまうでしょう。


nice!(6)  コメント(15)  トラックバック(2) 
共通テーマ:学校

nice! 6

コメント 15

小雪

その先生は、その事実を教えて、その後命の大切さについて教えなかったのでしょうか。。
もし、そうならやはり大問題だと思います。
今の子ども達は、毎日の生活の中で命の尊さを学べていない子が多いです。
昔なら、その先生の教えた事実を聞いただけで、ちゃんと「だからやっちゃいけないんだな」と判断できる子が多かったでしょうが、今の子達の中には、それを悪用する知識として吸収してしまう子がいます。
それ自体がとても問題なことですが・・・でも、そういう危機感を持って、しっかり教える義務が教育者や親達にはあります。
授業時間が足りなければ、授業を延長して教えなければいけません。
それが出来ないなら、安易にそういう事実を子ども達に伝えてはいけません。
若くても教育者です。子ども達に物事を教える立場にある自分の言葉の重さを理解していなくて教育者とはいえません。
その事実を教えたことだけで短絡的に責めることは出来なくても、今の子ども達に「その事実からどう考えるべきか」を教えなかったことは、重責だと私は思います。

昔の子どものように、外で小さな命と沢山触れ合って、その中で命の儚さや大切さを学べていたら・・・バーチャルな世界で命を軽く扱うことから始めなければ・・・とは思いますが、それが今の世の中だから、その現在に生きる中でどう命について教えるか。。そこを私達大人がしっかり考えるべきですね。
by 小雪 (2006-06-02 12:18) 

tsubame_diary

こんにちは。
取り方の問題が大きい気がします。
そして、何でもかんでも聞いてきた事をいけない、いけない。
と言って隠して温室で育てても、そういう事にぶつかった時、
その子はどうするのでしょうか?
限られた時間の中でどういう事を説明したいのか、
考えて授業をしなかった先生の非もあると思いますが、
それを捉えて悲しい気持ちになった子供が親に話したのだから
事実として世の中に出たのですよね。
そういう気持ちの子供ほったらかして先生に、
「何て話ししたんだ。」
と言っている時間はあるのでしょうか?
それこそ、あすなろうさんの言う通り、親がちゃんと説明して、
それを注意しなければいけない。とか、
命は大切なんだよ。ということをちゃんと話していかなければ
いけないんじゃないかと思いました。
by tsubame_diary (2006-06-02 14:35) 

m_kikuchi

確かに、小雪さんの仰るとおり子供達の現状はその様な命をかるんずる危険な意識がはびこる環境の中にありますね。

だからこそ、私の主張の力点はだからその現状を脱却していく上で、一番大事なのは、何か有ればお上にすがるのではなく、教師や父兄が気軽に悪いこと間違っていることは間違っているといえる環境を自分たちの周りに作り上げていくことが大事なのではないかという視点から提起してみました。

この教師に思慮が欠けていたのは確かだと思います。問題はそのことを通じて、必ずしも公的力を借りずに、父兄や教師が自らの主体性を活かし育てていく上で、どんなことが求められているかを考えてもました。

今思い至ることは、教師も含めて相互批判や、相互の励ましを日々行うことを通じて多くの人たちがこのような行動を日常的な運動にまで高めていくことが必要に思えています。

その土壌を問題にするとするなら、安易に他者にだけ結果的に責任を押しつけるべきではないような気がしています。

その様な土壌、環境が有ったとしたらその教師もあのような中途半端な授業には決してできなかったと思うのですね。

そのことによって、子供の環境をよくしていくことが今切に求められているような気がしています。教師が聖職であることを知ってあえてこのように述べさせていただきました。
by m_kikuchi (2006-06-02 21:45) 

m_kikuchi

tubameさん、コメントありがとうございます。私はお母さん方が、日々起こる事件の悲惨さに日々悲鳴を上げられているのが聞こえてくるような気がしています。不安でたまらないのだと思います。

でもその対処の仕方が明確にならず、やむを得なくあのような決断に至るのでしょうね。それはそれで大切なことだと思います。誰も責めることはできないと思います。

でも結果的に処分は、私個人は重すぎるんじゃないかと思ってしまいます。その先生の一生を台無しにしてしまうのではないかと。

その先生やその学校の日常を知らないので安易なことをいえないのも事実です。先生も神様ではないのでうっかり失言してしまうことも有ると思います。

だからこそ、安易にそんな失言がでない様な密度の濃い授業が行われる緊張感のある環境、土壌づくりが必要なんでしょうね。
by m_kikuchi (2006-06-02 22:09) 

おはようございます^^
あすなろうさんの意見には大賛成です。ただ分からないのは普段のこの先生です。何もこの先生について分からないので言えないのですが、元々生徒から信頼され、尊敬されているような先生だったら、子供たちも先生の言外の意味を汲み取れるでしょう・・・でも、そうでない先生だったら、本心はどこにあったかと邪推したくなりますね。
by (2006-06-03 05:59) 

氏

やはり、言葉というのは難しいですね。
先生がまっとうな先生で、言葉のあやとして、出たのであれば
父兄は、重箱の隅をつついているだけですよね。
しかし、最近、特有の常識のなさからくるものだとすると。。。
ニュアンスは、現場にいないとなかなか、わからないですよね。
by 氏 (2006-06-03 14:34) 

はじめまして、こんにちは。
とにかく、私たちの目から見ても、特にここ最近は、学校という箱物の中は「超神経質」になっているようです。開かれた…を提唱・推奨・期待されている割には、それを閉じているのは、どうも周りのようにも感じます。
この記事からだけでは、その場にいたわけではないのでわかりにくいところもありますが、真実はどうだったのか知りたいですね。
by (2006-06-03 14:40) 

アスナロウ

氏さん、いらっしゃいませ♪確かに最近特有の常識のなさから来るもので有れば、それは、全国に散らばっているだけに、対処することは住民にとっても先生方にとっても余程あらゆる面から抜本的に意識改革を進めて行かないといけないでしょうね。
by アスナロウ (2006-06-03 18:16) 

アスナロウ

mimimomoさん、いつもコメントありがとうございます。
その通りですね。普段の先生の言動がどうであったかは、重要な指標だと思います。周りに先生方は、どのように評価していたのでしょうね。
by アスナロウ (2006-06-03 18:22) 

chibariyo-_-315

こんにちは。しつけの問題、教え方の問題って本当に難しいですよね。
私が最近感じる事は、先生が子供だなぁということです。子どもが子どもを教えている感じがしています。日本はもっと「心」を大切にした教育をすべきで、今のままでは何の改革をしても大きく変化しないんじゃないかと危惧しています。
by chibariyo-_-315 (2006-06-03 21:19) 

m_kikuchi

WAKIsan さん、コメントありがとうございます。
やはり、過敏になるのは、いやに大人びて見える子供達が物理的に無防備な存在だという点、物理的に保護が必要だということや成長がアンバランスだという点などを周りの環境が、その程度、能力に応じて保護や指導が必要だと言うことなのでしょうね。
その環境の中心になる教師や親たちがこの10~15年の大不況や大災害の中で、子供達に対する一貫した指導方針や一貫した活動能力を喪失してしまっているのではないかと思われます。
危機対応にシフトしていたというか追われて子供達にまで手が回っていないのではないかと思われます。というか日本全体が情緒不安定に陥っているのでは…?と。未だその修復に追われていますが。
by m_kikuchi (2006-06-03 23:32) 

m_kikuchi

ともぷぅママ さん、いらっしゃいませ♪
確かに一連の事件を見ると、先生がこどもだな~!という風に見えています。でも、大半の先生方はこれまで同様、健全だと思います。
目立つのはやはり高度情報化社会の中でマスコミが発達し無数の情報があっという間に私たちの脳に届いてしまう点にも理由が有るような気がします。起こっている事件は全体からすれば微々たるものでしょうね。
ただ事件の性格にその様に思える特徴が有るようですね。子供の成長にも、一部の先生の意識にもトータルな人格としてアンバランスなものを感じますね。
by m_kikuchi (2006-06-03 23:45) 

m_kikuchi

ともぷぅママ さん、舌足らずな言い方になったような気がしますので付け足しますが、こういう事件は数の上では、つまり絶対的には増加していると思います。ただ、教師全体の中で占める比率では相対的にはそんな方はそれほど多くはないと思うという意味です。
問題は、多くの教師や父兄が力を合わせて、日々全体の一人一人の意識をひきあげていくシステムが確立されていないのか、有っても機能していないのかは判りませんが、実体は不十分だと思われるのですね。子供達を囲んでの、一人一人に血の通う教師や住民の運動が今求められている気がしますね。
by m_kikuchi (2006-06-04 10:36) 

教育実習に行った時に思ったことがあるのですが
親とのコミュニケーションがあまりない家庭が多いということです。
学校が子供の「全て」を育てる場所ではないと私は思います。
家庭で家族が子供を育て学ばせ、更に学校で学ぶものだと
本来はそういう所なんだと思います。
しかし昨今は、学校で何でも学ばせ、育てるという概念の家庭が多いように思いました。
その教師にも何らかの問題もあったでしょう。そうじゃなかったらここまで問題にもならないような気がします。
双方に問題があるような気がしますが…
自分が親になったら、子供には最低限のことは家庭で躾けたいし、それが当然だと思っています。
by (2006-06-05 07:46) 

m_kikuchi

aikaさん、コメントありがとうございます。

家庭で親子のコミュニケーションがあまりないという現状は、本当に由々しい現状ですね。

 理由は様々考えられると思いますが、昔と違って一人一室の子供が増えていると言うこととか、最近の不景気の中で母親が働きにでている場合が多く、子供にあまりかまってやる余裕がない家庭が増えていること。

 余裕があっても、女性の考え方が昔の古い型の一生をすべて家庭に献身するというパターンではなく、時間の多くを自分の教育や趣味により多く時間を振り向ける考え方の女性も多くなっています。

 又、女性の権利意識が高くなって、その分離婚者が増え、母子家庭も増加しています。そのため子育てに余裕がない場合も多いようです。このような場合、 母親がアルバイトやパートを一日に二つも三つも持っている場合も多いようです。

 それから、働く婦人の場合、昔と違って雇用機会均等法の施行後男女平等の扱いを受ける引き替えに、夜遅くまで男性と同じように働くようになり、子供と接する時間が少なくなっているようです。

 逆に、このような困難な条件の先読みの結果、結婚を控える若い女性も増えています。これが結構今の少子化に拍車をかけている様に言われていますね。

 とにかく、その分子供達を学校でしっかり教育・躾して欲しいという願望も強くなっているようです。

 そのため親子で一番大事な愛情関係、優しさや思いやり等人の命に関わるようなことを、しっかり学ぶことが欠けてきているかもしれません。
by m_kikuchi (2006-06-06 09:12) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 2

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。