教育と躾-5 逞しさを育む泉は? [育児のあり方は?]
親や教師、近隣の人々が手を合わせるとは?
①現実に求められること
現実に求められていることは
責任の押し付け合いではなく、お互いが協力し有って、
お互いに責任をもって、
日本の未来に責任を持つ子供達を
如何に逞しく、優しく、しかも規律正しく
礼節を備えた一人前の人間に育てていけるかなんでしょうね。
②現実の協力関係は?
でも、
書いていても、ますます難しくなりそうです。
言葉がではなく、
現実にその様に育てることを考えたときです。
全ての人が協力し合わないと不可能ですね。
ところで、
子育ては、どんな子を育てをするかで千差万別ですが、
特に
思春期、青年期に
高い峰を越えさせてあげなければなりませんから…。
これは子供たちに強制する意味ではありません。
あくまで主体は子供たちの意志です。
それに如何に助力できるかです。
③己の弱さは責任転嫁の始まり?
当然、親たちも、教師達も
その苦労は並大抵ではありません。
だからこそ、
強い意志と心を持っていなければなりませんね。
有る意味で、
自分でできないと言う弱さが、
ややもすれば
他人の責任にしがちになってしまうことになります。
④子供を逞しく育てる保障は?
真にその子の為、
という一致した気持ちになれば、
自分の足りない面は何か判っているはずなので、
心を割って話し合いの余地がでてくるでしょう。
それでも苦労は避けられないものです。
でも、子供達が立派に育っていく時、
その苦労は充実感・喜びに変わっていきます。
それは言葉では
到底表現できないほどのものです。
基本は、
親は子供に対する愛情が第一です。
他人ではどうしようもありません。
教師は将来の社会を担う子供達の基礎的教養を
しっかり身につけさせることです。
親ではどうしても届かない内容が有ります。
責任を押しつけ合っては、
一歩も進まないし、不審を生み出すだけだし、
子供の素直な心に
余計な不信感を植え付けるだけになります。
⑤これらの協力共同に溶け込めない、
或いは付いてこれない人達をどうするか?
ここでどうしても足りないことは、
これらについて、
判っていても、判ろうとしてもできない人たち、
又付いていけない人たちがでてくることです。
それは、物理的に世話をする時間がない、
世話をする経済的余裕がない、
あるいは人らしい育て方ができない等
何らかの困難を持った人たちが、
この長く続いた不況の中では必ず居ると言うことです。
そしてそれらの層は確実に存在しています。
今後ほっておけば増えていく可能性を持っています。
それらの人たちは
塗炭の苦しみを味わっていることが有ります。
そういう人たちも含めて如何に、
この共同社会の中で
手を携えて協力し合っていけるか、行くかを、
システム作りまで含めて,
地域共同社会の中に
創造していくことが求められています。
⑥地域にどんな組織が?
最近は、
NPO組織、町内会、自治会、など既存の組織があります。
学校と父兄の共同組織としてはPTAが有ります。
そのほか、
同窓会、子供会があります。
地域によって
宗教団体などと関係した
ボーイスカウト、青年団等も有ります。
特にPTAや子供会、同窓会などは
学校や父兄、子供達を巻き込んだ組織として
協力関係を結んでいく上で既存の組織としては有力でしょう。
それらを横断するような中核的な組織として
自主的自発的な組織として、
NPO組織であったり、
地方自治体の相当組織が関わっても良いのではないかと思います。
更にこのようなネットを利用した
ネットワークによるコミュニケーションの活用も効果的でしょう。
きめ細かな配慮有る組織化が求められるでしょう。
ややもすると親が参加しないと
子供達が遠ざけられたりする場合がでてきます。
ここで大事なことは、
そういう家庭の子供達こそ
丁寧に隔てなく
育てられる必要が有るということです。
運動作り、システム作りは示唆程度にさせて頂きます。
あくまで主体はその地域の人々だからです。
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