SSブログ

社会の風潮-4 [危機管理]

⑦当初の構造改革の目的とは?

勿論、言い分もあります。

 イ、失われた10年とその構造改革とは

  a、基幹産業の立て直し

失われた10年と言う言葉は有名ですが、
当時その為急激に自殺者が大金持ちにもでた様です。
バブル崩壊のことですね。
それらを、もう一度根本から立て直すために、
国力の総力をあげたのですね。
消費税もその中で3%から5%に、
税金も金融機関を中心に
数十兆に及ぶ資金が投入されました。
つぶれかかった日本の基幹企業には
大規模にてこ入れされました。
間に合わなかった証券会社、銀行も多数ありました。

国際競争で、開発費に莫大な費用がかかるとか、
能力あるものが努力したものが報われないと
努力しがいがなく、努力しなくなるとか。
悪平等は間違っているとか。
そこでは様々な理由が挙げられるでしょう。

でもそのてこ入れは人々の能力の差ではなく
莫大な費用が、国民の税金から投入され
今の格差社会の根幹が作られたことを
忘れてはならないでしょう。

 b、個人の能力

勿論、
中には個人的に血のにじむような努力をされた方も
中にはいます。
しかしそれはきわめて限られています。
この世の中に、天才的な能力を持った人は
金儲けの社会でも技術開発の社会でもごく限られた人々です。
大半はみんなの共生の中で成り立っているのですね。

⑧私たちの将来は?

とにかく、
そういうわけで、
将来には、
私たち自身も、安心と思われた年金も
危ういものがあり、満額頂いても
生活できるにはほど遠いようです。

そんな中で、
社会全体が生きていけるような
抜本的な対策を、
一人一人が全力で考えなければならない時代に
なってきているようです。

そして、
みんなが協力し合わなければ
解決は不可能です。

大金持ちはそうなれば、
海外に逃避してしまうでしょう。

中には愛国者
(隣国と喧嘩ばかりするのが愛国者ではない)
もいるでしょうが。
歴史的に見ればあまり当てにならないでしょう。

⑨愛する国造りとは?

イ、求められる政治家とは?

今の少数の政治家だけに
まかせていただけでは到底間に合いません。
馬鹿なつまらん政治家はこれからは
つくらないようにしましょう。

幕末の時のような命がけで無償の献身をした
若き青年たちのような政治家が切に求められますね。
それも今の時代にあったように、
暴力は厳禁ですが。

国のために無償で献身できる有能な方は
最低の生活費と活動費だけは公費で保証し、
それ以外の贅沢をしたい人は
政治から辞退して頂きたいですね。

これも私たちの責任です。
おもしろ半分で投票する人は
お互いに注意する位であっても
良いのではないかと思います。
意見の違いを闘わすのは当然です。

 ロ、マスコミのあり方は?

一部のマスコミのふざけた宣伝も社会の公器としての
メディアのあり方をもう一度振り返ってほしいものです。

権力の介入を許したくないので有れば、
それだけ責任を伴います。

研ぎ澄まされた記事内容が自主的に求められるはずです。

 ハ、私たち国民のあり方は?

それを暴力で阻害する集団こそ
権力の手で一掃されるべきものです。

こうじて暴力に訴えるのは厳禁です。
どこかで、
一時的にせよ折り合うのは不可欠です。
それが、日本人の作法です。

勿論、具体的に
誰に投票するかに関わることは厳禁ですよ。
誤解のないように!

結果対応に追われるだけです。
経済難民と犯罪者を
激増させるだけでしょう。

善意有るものが率先して、
真剣に話し合う必要が有ります。
そのためにも今子供達の教育は非常に大事です。

⑩教育や行政の失敗は何処へ向かわせるか?

きっちり前向きに教育されないと

思春期は不良、
青年期は暴力団、
中高年になると独裁者か
テロリストに、
または圧政者の片棒

を担ぐかもしれません。

親が足りない分は
子供達はみんなで育てましょう。

今、しっかり対応しないと手遅れになります。
それでも結果が現れるのは30年はかかって
やっと結果が現れてくるでしょう。

みんなが協力し有って、
慎ましくでは有っても、
幸せに暮らしていける社会を
今から考えていく必要が切実に求められています。
それだけの社会を
維持するだけでも並大抵ではないでしょう。

贅沢を出来るのは一部のものだけです。
その様に悟っていた方が賢明でしょう。

 


nice!(6)  コメント(11)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 6

コメント 11

ボンクレール

おっしゃることはよく理解できます。たしかにいろんな問題が多すぎます。
官僚的とでもいいますか、要するに政府も社会のリーダーたちも、問題先送り。結局そのつけは国民に、そして未来にまわされてしまうのだと思います。
教育は大事ですね。それに、教育を司る文部科学省とか、教師の資質も大事。たしかいまの文科大臣だと思いますが、フィギュアの荒川静香と対談したとき、ロシアの選手が転んだことを喜んだ、などと突拍子もないことをいっていました。いまの指導者より民間、市井の人にこそもっと有能な人がいるのではないでしょうか。などと思ってしまいます。
by ボンクレール (2006-07-31 21:13) 

とも

こんばんはぁ~。ブログに遊びに来てくれてありがとう
ございました。^^
確かに、いろんな事がありすぎるこの世の中。
自分自身がまず、しっかりしないと大切な人も守っていけない。
家族の絆を大切にして、子供をちゃんと育てていこうと思う日々です。
by とも (2006-07-31 22:50) 

m_kikuchi

ボンクレール さん、
コメント有り難うございます。
最近の政治家の信念は基準が違うようですね?相手のミスをよろこんだり、
自国の利益のためにはウソの理由で仕掛けた戦争を支持したり、子供たちに、如何に説明したらいいか途方に暮れるような見本しか見あたりませんね。それを全て教師に丸投げしたり、なんと形容したらいいかわかりません。
昭和天皇の”平和を大事にする御心”が明らかになるや、反省するどころかニセメモ呼ばわりですまそうとするなど情けないことばかりです。果たしてこれで世界から尊敬される日本、世界に誇れる日本になれるのでしょうか?
by m_kikuchi (2006-08-04 16:56) 

m_kikuchi

ともさん、ご訪問有り難うございます。
ホントに、私たち一人一人がよほどしっかりしないと、これからの日本はとんでもないところに行ってしまうでしょうね。
のど元過ぎれば、熱さ忘れるで、第二次大戦の惨たらしさを忘れてしまった人、もう単なる過去にすぎないものにしてしまっている人、今中近東で起きている血、肉飛び散る残虐の世界をまるでアニメ漫画でも見るようにしか感じていらっしゃらない方が、日本では大手を振って歩けるようになりつつ有ります。なんと想像力のない人たちが増えたのだろうと驚かざるを得ません。これはなんとしてもくい止める必要が有ります。こういうときは、かわいい我が子を見ながら
政治家選択の判断をすべきでしょう。仮想敵国を勝手に作り上げ、戦争準備をするなんて以ての外です。普段の軍事演習はどこでもやっていることです。
一方だけを騒ぎ立てることは、国民の正常なバランス感覚を狂わせ戦争に駆り立てることを意味しています。それは、戦後悔い改めた発想なのです。
by m_kikuchi (2006-08-04 17:12) 

じろ

はじめまして。

世の中のことはぼくにはちょっと難しくてわからないですけれど
みんながみんな大事に想い優しい日々を過ごせる世の中になれたらいいなって思います。
なんかうまく書けなくてすみません(汗)

では失礼します
by じろ (2006-08-04 18:34) 

あら!みてたのね

はじめまして、こんばんは・・・
My blog にご訪問ありがとうございます。
あら ! みてたのねは、政治、文化、教育を語るより、小っちな単位である自分自を切磋琢磨すること・・その広がりがひいては日本の、世界の大きな単位の元になると思います。
by あら!みてたのね (2006-08-04 23:04) 

はじめまして。政治というものは矛盾の賜物だというのが私の意見で。だからどんなに熱弁を奮っても結局ゴールにはたどり着けそうにはありません。あなたのおっしゃる理論は最もです。多くの人もそう思うでしょう。でも多くの人がそう思っている今の現状の中で自体が深刻化しつつあることの方が問題であるような気がします。かと言って、革命に走ればテロリスト扱いを受け、ユートピアであったソビエトは崩壊してしまいました。もちろん暴力はいけません。でも権力はもっといけないと思います。何かが発生したときに、無理やり理屈づけられて我々の前に蔓延るのがそれだと思われるからです。しかし現状では権力を権力たらしめているのは我々大衆ではないでしょうか?剥き出しにされた生存不可能な権力に、息吹を与えているのは我々による賞賛なのではないでしょうか。もういやになります。結局悪いのは我々のようです。人間というものの存在が、政治とはうまく合わないのではと、思わされました。ありがとうございます。
by (2006-08-08 00:57) 

m_kikuchi

じろさん、
何時も優しい心を持ち続けることは、自分との闘いです。日々自分を心身共に鍛え、強靱な心と身体を持ってはじめて常に優しい心、平常心が保たれるようになります。一生を精進して生き抜かれることを心よりお祈りします。
by m_kikuchi (2006-08-08 15:57) 

m_kikuchi

あら!みてたのねさん、
確かのその通りなんですね。一人一人が切磋琢磨してはじめて、結果として世界に誇れる日本ができあがる。
 一人一人が共通の価値観を共有しているときはその通りで、問題はないのですが、自分は良くても他人はどうなっても良いという悪魔の心を持つ場合が有るんですね。
 人の心は無数の世界があって、その間を常に彷徨っているようです。国として目指すものがはっきりしないとき、国民の意志と国の意志の間に乖離するものが生じます。 そして悲惨な結果となってもそれに責任を負う人がいないことになります。第二次世界大戦がいい例です。
 国内で300万人世界で2000万人の死者がでたといわれますが、先勝側から一方的に責任はとらされましたが、国内ではその結果に対して、責任を問う裁判は行われていません。このようなことは二度と起こってはならないと思います。
 今の世の中では、どんな社会でも、問題が起きれば、その構成員によって討議され、責任者は責任が問われ、その経過から教訓が引き出されます。それが民主国家の通例です。
 他人様の子供を命がけで事故から護ろうとする人がいるかと思えば、親子の間でも殺し合うような人もいます。
 何を切磋琢磨するのか、何を共通の目標にするのか、相手の立場からは自分はどんな人間に映っているのか?など様々な視点から見つめてみることが、私たちは、今切に求められているようです。特に国と国民、国と国は複雑な関係を持っています。
by m_kikuchi (2006-08-08 21:01) 

m_kikuchi

potiさん、コメント有り難うございます。
確かに、政治は矛盾の産物ですね。やはり日本の政治が一番問題なのは戦後を通して、政権党がほとんど変わっていないことでしょう。これが、政党も含めて、官僚の腐敗を蔓延させてしまった根本だと思います。
 政党が変われば一定の官僚はそのたびに入れ替わることは否応なしに行われるでしょう。それが、いやなら、自ら常に自浄作用を持たざるを得なくなるでしょう。少しの変化もつもれば山となるに違い有りません。
 私たちの国造りは私たち国民自身が、憲法にもうたわれているように、国民大衆のために作っていかねばなりませんね。
 だからいまの国も矛盾や問題は有っても私たちの国なのです。主権者が変わらねば国も変わらないでしょうね。
by m_kikuchi (2006-08-08 21:55) 

m_kikuchi

Runaさん、nice!有り難うございます。
by m_kikuchi (2006-08-09 10:56) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

社会の風潮-3平和の祈り♪ ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。