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虐めと死への考察-3 [教育時事]

①子供の考えと行動

子供の虐めにに関して、

では、
子供達はどんな風に
考え行動しているか
考えてみました。

一度、
自分も子供の時
どんなことを考えていたか思い返しながら、
振り返ってみると、

一つは、
よく、そんなに苦しんでいるのなら、
親や教師、身近な大人に
相談して見ればよかったのに!

といわれたことがあります。

でも、
子供達にとっては、
それがまた一大決心、勇気のいることなのです。

それそのことそのものが、
子供同士では”チクリ”であり、
子供同士の”掟破り”の場合が有ります。

それは、
矛盾していますが、
自分が死ぬ以上に怖いこと、
してはならないことの場合
(大人の判断では思いこみです)が有ります。

これは、
大人社会の規範では無く、
子供達が勝手に作りあげた規範ではありますが、
”掟”には違いないのです。

それを破ると、
それ以上の”制裁”が起きる場合が有るし、
それをおそれる場合もあります。

また、
逆に子供同士の優しさでもある場合があります。
”いいこと”も”悪いこと”も含めて、
大人社会から自分たちを守るためにかばい合うことを、
ある意味で美徳と考えている節が有るのです。

その判断が、
必ずしも全て不要と言い切れないところに、
問題の深さがあります。

子供の悪さ、いたずら、虐め、それらは千差万別です。
大人もある程度、
悪気のない
”わるさ&いたずら””虐め”は
許してあげよう、あげたいと思っています。

ある意味で、
それは大人同士でも、
胸に手を当てて考えてみれば、
自分も虐めで相手を傷つけていることが有ることを
思い出すからです。

また、友人知人、仲間を犯罪では無くとも、
道義的に裏切っていることが有るからです。
それは良心の痛みでも有ります。

でも、
その線引きは厳密によくよく考えると
非常に難しい場合が有ります。

それぞれが、ことの成り行きに対する視点、
観察する角度が
お互いに微妙に食い違っているからです。

まして、
子供達には
極めて悩ましいものだと思うのですね。
また、
経験の絶対的少なさから見えてこないものが有ります。

その集団の中で判断を誤り、
この時点では、またこの問題では
大人に相談すべきだとか、

判断する機会や場所を、
逸するあるいは見失う場合が有ります。

そういう狭間で、あの痛ましい事故、
尊い命が自らによって絶たれる場合が
有るのでは無いかと思います。
もっと、強く逞しくなって欲しいですね。


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コメント 4

詩織

私も、「いじめられたら、大人に相談するのよ」という言葉は、あまり説得力がないな、
って思います。
躊躇して、自分の中で抱えてしまっている子が多いから、
悲しい事件が、あとを絶たない。
「相談する」前に、いじめという環境を、根絶するための策を考える方が、
先決かと思います。
by 詩織 (2006-11-27 16:10) 

U3

結局自分で解決するのが一番なんだろうけどね。
問題は社会の最小単位「家庭」にあることが多いと思うよ。
いじめる側もいじめられる側もね。
「学級崩壊」が叫ばれて久しいけれど、
大元を辿れば結局「家庭」に行き着くからね。
親が同子供とどう接するか、向き合っていくのかを
社会全体でよく考えて実行に移さないと日本の子供達の将来は明るくならない気がするよ。
by U3 (2006-11-27 19:24) 

asunarou

私さん、
U3さん、
Ruciさん、
gecoさん、
nice!有り難うございます。
by asunarou (2006-12-01 13:54) 

m_kikuchi

 この問題は、人という生命をどのように見るかという問題を含んでいますので簡単に結論づけるのはとても難しいことだと思います。
 ただ、私個人の考えですが、今という大人社会が現状のまま推移するのなら、ある意味で、子供達を、子供社会だけを無菌社会にしておいて、二十歳頃になってさあ~大人になったんですからといって、大人社会に何の抵抗力もないまま、放り込めば、大人の職場はそんなアマッチョロイ職場はそんなにないでしょう。いきなり大量の自殺者を生んでしまうでしょう。日々鍛えられているたくさんの子供達は何とかそこを乗り越えていると思います。でも優しい子供達は多くの苦しみを抱えているだろうということは、想像に難く有りません。
 ある意味で虐めの極限の中で生きている場合が多いのでは無いでしょうか?昔の過労死、今のプアワーキングなどという言葉も、その中でできた言葉です。
 今後は景気が好転してきているといわれていますので、少しは緩和されているかもしれません。でもそれも、資本主義制度そのものが、景気循環をくりかえしながら推移していますので、山あり谷ありが当たり前です。緩和されてもそう長くは続かないでしょう。
 そういう中で、子供達は日々育っているということを常に自覚しておく必要が
有るような気がします。
 弱いものから更に弱いものへしわ寄せがいくとは、こういうことを言うのかもしれませんね。優しさ、思いやりを大切にしながらも、それに負けない子供を育てたいですね。今だけを問うならこれが今の気持ちです。
 将来的に思うなら、もっと働くもの達に優しい国造りをしたいですね。だからといって、昔のように他国を顧みず犠牲にしながら、自国だけをそんな国にしたいとも思いませんし、現代ではそれは不可能でしょう。
 かの豊かな国アメリカでさえ、多くの国民は相当数が貧困で苦しんでいます。最近の調査では、極端な格差が有るのは日米ともほとんど変わらなくなっているようです。ニューオリンズ地方の出来事はその一つの例です。
 格差社会と虐め社会は密接な関係を持って、今日の社会を構成していると私は思っています。
by m_kikuchi (2006-12-03 22:33) 

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