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虐めと死への考察-2 [教育時事]

死を思い至るときとは、

子供の場合は、
仲間に集団的に虐められたとき、
などは典型的な例ですが、

それ以外に、
失恋して絶望感にとらわれるとか、
精神的病にかかるとか、

身近な親とか大人に、
何か生きていく上で立ち直れないような
致命的な言葉を浴びせかけられたときなどに

それが、自分でも日頃気にしていて
自覚症状がある時などに、
相乗作用的に思い詰め、
そういう気分に追いつめられることが有ります。

周りの人がそれを防ごうとするならば、
安易にそのような言葉をはかないことが大切です。
日頃、思いやりとか優しさを意識しているとか、
心がけていればそういうことは無いのですが、
そういうときに限って、
予想も思いもしない為、無意識に
薄情な言葉、卑劣な言葉、
冷酷な言葉を投げつけてしまうものです。

相手が落ち込んでいるように思えるときは
特に気をつけたいものです。
明るく振る舞っているように見えても、
相手に何か不幸が起こっていることが
わかっているときも、同様です。
内面は簡単にはわからないものです。

日頃明るく振る舞っている子が、
次の日にはもうこの世にいないということが、
子供の場合、よくあります。
一人になったときはみんなといるときとは精神的に
気持ちが違っています。

⑧特に社会的指導者の役割は

よく聞いていて欲しいのですが、
社会的、政治的指導者は、
子供達がどのようなデリケートさを意志表現するか
理解しておいて欲しいと思います。

子供達は、
親が経済苦、過労苦、大人社会での虐めで
苦しんでいるとき、
よくそれを理解しています。

そして、
その親の足手まといになっているのでは?と
本能的に感じている場合が有ります。
直接動機では無くても、そういう場合に
子供社会の大した動機では無くても、
その契機になるものが有れば、
安易にそういう気になります。

それは、
子供達にとっては痛ましい内容ですね。
子供達の大半は、
デリケートで優しく、思いやりでいっぱいです。
そういう子供達を大人達は、
特に社会的指導者は裏切ってはならないでしょう。


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