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少年時代の故郷-3 [少年時代]

3.大事件がおきる

この頃、
それはこの三田川(吉野ヶ里近辺)にすんでいた頃、
母が身重であった。

ところが、父はどこかへ飲みに行って帰ってこない。
その間に産気づいてしまった。

私は、母が苦しむのを横目で見ながら、
父が寄りそうなところを探し回った。

父がどこかの飲み屋で、飲んだくれているとき、
母と妹の生まれてくるのを
我が事のように心配し、
必死に産婆さんの事、父のことを
探し回っていた。

今思うと小学校にも入らない頃の
この自分は一体何者だろう?と感嘆する。
今の我が子には想像もつかない。

4.小学生になったばかりの頃

小学校に入ると、
学校が気に入ったことは一つだけあった。
それは中庭に大きな池のような水槽が有り
大きな鮒や、鯉、ナマズ、亀、などが
蓮や藻のしたに沢山潜んでいたことだった。
周りの小川にはあまりいない、
大きな魚や珍しい小動物がいた。

休み時間になると、必ず中庭に出て
その池の中の生き物たちを探し求めた。

あのころ、一つだけ学校の窮屈さが身にしみたのは
必ず、授業の始まりのベルが鳴ることだった。
その自由を抑制されることがたまらなく辛かったのが
思い起こされた。

5.初めて先生に叱られた思い出

一度だけぐずぐずしていて5分くらいかな?
遅れて、担任の教師にきつくしかられた。
それまで、親にも悪いことをしない限り、
しかられたことのない私にはかなりこたえたようだ。

それまで、
それが「イケナイこと」という意味の実感が全く無かった。
学校での規律の意味を教えられた1幕だ。

6.このころの私?

私は、このころ、頭はいろいろと自然と楽しむ為に
いろいろと活発に働いていたけれども、
全く口数の少ない少年だったような気がする。

というのは、
自宅でクラスのごく親しい友人以外は、
名前が覚えられなかったようだ。

それが証拠に、小学3年生までに
名前の記憶のある女の子は二人だけだった。
よく「何々ちゅうもん(者)がさい…?」と言って
母に笑われたものだ。

ところで、一人は両親が、その相手の親を
よく知っていたから知っているだけだった。
もう一人の子は、
目がくりくりっとして、
おかっぱのとても可愛い子だった。

それも、遠くから可愛いな~!と
無意識に思いながら眺めていただけのようだった。

それで、
当時姉(当時小6、私は小3)との会話の中で、
あの子が好きだというのに、
名前が出てこなかった記憶がある。

なんと?、
姉の方がよく覚えていて、
その子は「N K子(仮名)」さんって言うんでしょう?」と
逆に教えられたことがあった。

不思議なことだ。
私が名前も知らないのに、
姉が私がほのかに好きだった子の
名前を知っているとは?
とにかくおかっぱの似合う可愛い女の子だった。


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