人の命の重さとは?-1 [日記、エッセイ]
16歳の娘が母親を
化学の実験材料にするという不幸な事件が有りました。
人とは?と考えるとき、賢いという言葉の軽さ、むなしさを
これほど感じるときはないでしょう。
人の大切さ、重さ、優しさ、厳しさ、生きることの尊さが
この子にとってどのように語られていたのだろうか?と
思わざるを得ません。
試すという言葉が、この子にとってどれぐらいの重さで
語られていたのでしょうか?
試す、観察する、実験するということは、
子供にとっては社会学とは無縁のまま語られていたのでは
ないでしょうか?
今の学校教育の総合性のひずみの中で
生じたのではないでしょうか?
理系の偏重は、
社会学における倫理、道徳、法による規制など、
その理解と
結びつかないまま、
人体実験の重さを理解しないまま、
真理追究が先行したのではないでしょうか?(次回に続く)
今の社会は科学技術を急速に発達させることが
全世界で求められています。
グローバル競争は世界中で繰り広げられています。
従って、これは一教師や母親、父親に向けられたものでは有りません。
これからも、ある程度避けられない現象となって現れるに違いないと思っています。
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