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挑戦することに生き甲斐を持つとは? [少年時代]


私の子供の頃、
小さな川を走り幅飛びのように
よく飛んだ記憶があります。

①小川を跳ぶ!

クリアするとちょっとだけ幅の広いところに
挑戦しました。
目測を誤ってよく、向こうの川岸の手前に
ぽちゃんと片足つっこんだり、

飛んだと
思ったのに
ずぶずぶのところに
ズボッと
足をつっこんでしまったり、
濡らしたり
泥だらけにしたりして、

家に帰ったことがあります。

それでよく、
家に着くと「またやってしまったの~!」と
笑われてしまったことを覚えています。

②失敗を観る幼児の心と親心

それでも、
しかられたことはなかったですね。
まして莫迦にされたことはありません。

ちなみに、
失敗したからと行って、
挑戦する気持ちがなくなったかというと
何故か、
なくなりませんでした。

他人に理解される何か?

が有ったわけではありません。

あと少しよけいに飛べば飛べるという希望が
有っただけです。

③自然に育まれた挑戦する心

子供は誰でも向上したいという気持ちは
放っておいても有るはずです。

でも、それは失敗したときに暴力を受ける
などという恐ろしい結果がないから挑戦できるんですね。
失敗すると確かに自分自身に対してダメージは有ります。

しかしそれは、新たな勇気を生み出してくれます。
少しずつで有っても前進は少年に確信を与えてくれるからです。

④体罰は夢と勇気を生み出せるか?

暴力によって罰を与えられれば、自信を失うことはあっても
勇気と希望は与えてくれません。

⑤持って生まれた人の心とは?

元来、
人は走ることでも、
山を登ることでも、
絵を描くことでも、
ものを書くことでも、
全て少しずつ峰を越えていくこと、
自分の限界を超えていくことを
大変好む生き物だと思います。

⑥人としての尊厳とは?

問題になるのは、
選択や方向性を
他に厳しすぎる程、
また激しく強制されるときに
反抗心や軋轢を生むのでしょう。

⑦親の所有物か?

特に親はこどもを
自分の私有物と錯覚する場合が有ります。
幼児期までは
それでも成り立ちます。

⑧自立心の芽生え

自立心は
1歳ぐらいから注意深く見れば
観察できます。
大きくなればなるほど
離れていきます。
親子だから、
身も心も同化できると思うのは
親の願望にすぎません。
親は励まし援助する程度しかできません。

⑨人としてのハードルとは?

子供たちが、
知っておく必要が有ることは、

 1.避けがたい競争

人間社会では、
一番の難問は、生きていく上で
ある程度までは、
競争は避けられないし

 2.避けがたい強制との折り合い

強制も、
家族を養うためとか
他の人のために、
折り合いが難しいときに
自分の内面からこみ上げてくる
どうしてもやりたいことと、
如何に折り合いをつけるかを
知ることです。

これは
人の人たるゆえん、
大人になることを証明する場でも
有るのでしょうね。


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コメント 11

be-myself

子供の頃は、大きな希望とちょっとの不安を抱えていたような気がします。それは世の中を知らなかった、という事もありますが、環境だったのでしょうね。今はちょっとの希望と大きな不安... いつの間にか逆転してしまいました(^^:
by be-myself (2006-06-29 21:57) 

m_kikuchi

りょうさん、こんばんは~♪
その通りですね。
あんまり、
大きな希望を持っているわけではないのに、
安心してこれから生きていけるか?と
大きな不安が有りますね~!
by m_kikuchi (2006-06-29 22:05) 

おはようございます^^
全くその通りだと思います。ただ、悲しいことに多くの親は、子供を自分の思い通りにさせる、あるいはなるものだと、思っていることでしょうね。それが結構悲劇を生んでいるという気がします。
by (2006-06-30 05:00) 

m_kikuchi

mimimomoさん、いつもコメントありがとうございます。
その様な親の身勝手な錯覚から来る悲劇は、いつの時代も合ったような気がします。なかなかそれは克服しがたいもののようです。
 私の場合出来るだけ子供がその成長の一定の段階に応じてする、夢、希望、目的に対して、その時の子供の成長に応じたものが有ると思っていたので、その時々の子供達に宿る将来の希望の動機(モチベーション)を子供の立場から理解したいと心がけました。
 それでも、有る程度大きくなってから、子供に言われたことは少々ショックでした。私はお父さんの好みに添って育てられた。だから、私は今でも良き伴侶に
巡り会えない!と。
 ”親の心子知らず”というのでしょうか?多くはここでは語れませんが、原因を詳細に検討すれば半分は当たっているし半分は当たっていないような気がします。子供の人生を強要した覚えはないのですが。いったい何なのでしょう?
by m_kikuchi (2006-07-01 20:46) 

m_kikuchi

ikkoさん、にゃんこさんniceをありがとうございます。
by m_kikuchi (2006-07-02 10:09) 

>特に親はこどもを
自分の私有物と錯覚する場合が有ります。
>親子だから、
身も心も同化できると思うのは
親の願望にすぎません。
親は励まし援助する程度しかできません。

はじめまして!あすなろうさん。
親と言う字は「木の上に立って見る」と書きますが本当にその通りなのですね。
「励ます」。。これって案外一番難しいのかもしれないですね。
歯がゆく思ってついつい口出ししちゃうんですけど(苦笑)暴力はやはり頂けないですね。暴力で済まされるなら問題はないのになと思います。
子供も一つの人格を持った人間なのに、、と思います。

この前は「ナイス!」ありがとうございました!!
by (2006-07-02 11:12) 

m_kikuchi

セブンさん、ホントに親そのものですね。
木の上に立ってみる。そのものです。よく考えたものです。
普通にまじめに育っていればそれで十分だと思います。問題は、人に迷惑をかけるとか、学校で授業の進行を妨害を加えるとか、どうしてもそれを除去しなければならないときが、それで済まなくなるんですね。
 やはり普通によくできる子に体罰は酷ですね。後は親の説得能力を磨くしかないですね。大人も日々勉強して向上心を持つしかないようですね。
by m_kikuchi (2006-07-03 12:25) 

m_kikuchi

ハーボットさん、nice!ありがとう~♪
by m_kikuchi (2006-07-04 10:22) 

tsubame_diary

こんにちは。
うちの場合は一回失敗したら次は無かったです。
だから必要以上に失敗を恐れていました。
今は失敗してももう一回やり直せばいいんだという
気持ちの方が大きいです。
親で失敗しても、もう一度生き直せる事を信じて欲しいです。
by tsubame_diary (2006-07-05 15:00) 

m_kikuchi

tsubame さん、
貴方の主張はしっかり自立していれば、いつでもやり直しが聞くということなのでしょうね。誰でもそれぐらい逞しければ言うことないのですがね。若いときはどうしても引きずってしまうんですね。
by m_kikuchi (2006-07-05 19:34) 

m_kikuchi

 人にとって、もっとも大事なものは愛情ですね。実際の現実は貴方のおっしゃるように茨の道です。人の命を大事にしながらその茨のを通ろうとするとき、初めて人は人倫に基づいた真の勇気を発揮できると考えますがいかがでしょうか?

 きれい事だとおっしゃるかもしれませんが、それ位でないと危機に臨んだとき、例え人に、みんなを助けるために力を貸してくれと行っても自分の命を投げ出してまで貸してくれることはあり得ないでしょう。

 現場では瞬時を争うためとげとげしい命令口調になるかもしれませんが、それまでに愛にもとづいた信頼関係がないと簡単に人は逃げ去ってしまうでしょう。その信頼は地道な愛情関係の積み上げで決まります。
by あすなろう (2006-07-10 10:43)
by m_kikuchi (2006-07-23 20:10) 

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