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人の価値とは?-2 [日記、エッセイ]

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夢や希望を語ると云うことは、
言い換えれば、

過去現在の自分に飽き足りなくなったり、

自分への失望や絶望の果てに
新に気持ちを立て直し、

新しい夢や希望に向かって
現実に一歩一歩歩みだし、
そこに新しい価値意識を生み出し、

それまでと違った新しい生活、生き方を
すすめはじめることを意味するのだと思うのですね。

そこでは、具体的には
そこにあるものは、それまでと見ただけでは
何ら変わるものは無いように見えるでしょう。

しかし、
価値観が変わると云うことは
人の心内面が変わることを意味しています。

それは、
同じものを見ても
それまで好きだったこと、
愛していたもの、
感動していたもの、
美しいと思っていたはずのもの
尊敬し尊いと思って人、

それら一つ一つのもの、人もしかりでしょう。

それらに対して、
何ら興味を示せなくなったり、
好きでなくなったり、
愛せなくなったり、
好ましくなくなったり、
感動を覚えなくなったり、

また、
それまでと違って不快に感じることさえ
出てくるかもしれません。

これらのことを思うとき

問題なのは、

幼児から少年時代くらいまでは
そういう変化が有っても余り問題にはされないでしょう。
それらは成長期の一過程のものとして
むしろ歓迎されることが普通の事柄なのに対して、

思春期や青年期を過ぎると
これらの事柄は、
重大な精神の葛藤や、
自分の内面の自己矛盾の生起に留まらず、
周囲の大人達も巻き込むように
大きな問題に展開していくことが往々にして
有ることです。

ただ、
それがよいことか、悪いことかは別次元のことでしょう。
その価値を推し量ることは多くの困難があります。


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ゆき

変化こそ物質的存在の証です!

by ゆき (2009-02-10 21:13) 

あすなろう

ゆき さん、
変化にも目に見える変化と
目に見えない変化が有りますね。
”ある人”の心の中で、望ましく見えていたものが
いつの間にか何らかの因果関係の中で
望ましく無いものに変わってきたとします。
その”ある人”のそのものの存在の証は
その心の変化の移りゆきそのものに有ると云うことですね。
では、その”ある人”は他者からはどのように見えるのでしょうね?
見た目では分からないですよね?
by あすなろう (2009-02-10 22:59) 

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