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人の価値とは?-3 [日記、エッセイ]

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では思春期や青年期に入ると
如何様な変化が現れてくるのでしょうか?

ある人にとっては、
それまで自分にとって両親、あるいは教師は
無くてはならなない存在であったし
その肉親、先生達の教えは全て大切なこと、
自分にとって全て受けいれて当たり前の事だったことが、

素直に受けいれがたいこと、拒否したいことに
変わってくる時期でもありましょう。

それは、
或る時は親の大切にしてきたもの
「家」や「財産」、先祖代々の「職業」で有ることもあります。

でも私は親の生き様、先生の考え方を見ながら
人の欲得、打算をみて
私はこのような生き方をしたくない。

私はもっと違った考え方・いきかたをしたいと
考えはじめるかもしれません。

親の希望する高校や大学であることも有ります。

親は自分が医者であれば当然のことのように
子供も医者になるべきだと考えているかもしれません。

幼いときから医者になるように言い含められ
その価値を説き聞かせ、無意識のうちに
強制しているかもしれません。

それが”人となり”であることもあります。

ただし、親・教師達、或る場合は
高名な宗教家の考える「正しい考え方」、
「価値観に基づく」”良い人”「正しい人」です。

親や心の発達に影響力のある人が傍らにいれば
これが正しい生き方と自分の「信条」や宗教を当然のことのように
無理強いしてくるかもしれません。

これらに対して、
自分の価値観を意識しはじめ、
自分の考えはこうだ。
自分はこうありたい。

自分はこういう人が好ましい人だと思う。

私の友人を親が好ましくないと思っても、
私は私で有って、
私でない人が私の友人の事で
とやかく言われる筋合いは無い。

自分はこういう生き方をしたい。

とか、

異性に対しては
もっとシビアな介入が有るかもしれません。

私がこの人が好きです。
愛しています。

といっても、
親や肉親達の人を見る価値基準は
大きく異なっているかもしれません。

そこでは、
各々の生い立ちの違い、生き様からくる、
その各々の内に内在する価値基準をめぐって、
激しい葛藤が自分の内面に繰り広げられると同時に、
自分を囲んでいる親しい人々との間で
口論や諍いが頻発するかもしれません。

余程、日々しっかり多くの価値あるものを吸収し、
冷静で客観的に判断する価値基準を己の内に
秘めていなければ他者の思うがままの人生を送らざるを
得なくなる可能性を孕んでいます。

それは宗教や信仰をめぐってもそうですが、
政治や社会のあり方をめぐっても然りです。
こういう事象になればもっと大規模な集団の葛藤が始まるでしょう。

何か共通の価値基準をめぐるもの、
平和的でかつ拘束力をもつもの、
しかも道徳的・倫理的に納得の出来るものが
全ての人々に求められてくるでしょう。




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あすなろう

最近ある大学の卒業生がその大学の恩師を殺害した事件が
有りましたね。
一説では共にした研究プロセスで、何らかの出来事が
自分の就職の遍歴に大きく影響し、そのことでひどく
恩師を恨んでいたのでは?という事が述べられていました。
推論に過ぎないので多くは語れませんが、
もしそうだとすれば、上記のような多くの人に
影響を受けながらも最終的には大人としてのその時点での
意志決定上の”自立が極めて重要だということを
示しているのでは無いでしょうか?
by あすなろう (2009-06-08 20:36) 

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